スバルの過去記事を整理していたら、 胸の奥に沈めていた“あの黒い記憶”が、静かに這い上がってきた。
類乾癬で体が壊れ、趣味が止まり、 R-2の修理も途絶えたまま年月が流れた。 それでもスバル愛の灯だけは消したくなくて、 短い隙間時間に過去記事を触っていたら── 8年前の「部品だけ参加」の写真が目に入り、 さらにもっと深い闇の記憶が、底から浮かび上がった。
R-2の部品だけを並べた奇妙な参加。 その裏には、震災、泥棒、親父の暴走、そして自分の体の崩壊が重なった、 “なが〜ンの黒歴史”がある。
今日は、その闇を観測ログとして残しておく。
部品だけ並べる違和感
8年前のことです。
当時にスバル360フェスティバルという旧車の集いがありました。
私も参加しているのです。
走行するスバルが無いのに参加している違和感。
そもそも、何故に部品だけで参加となったのか?

そして、今もそのままになっているのか……
はあーっ。
レディバード関西
なが~ンが免許取って1年以内の話しです。つまり、35年以上前ですね。
自分名義にした最初の車が、スバル R-2 型式:K12 でした。
あっ、660ccの軽自動車じゃないですよ。360ccの軽自動車の方ね。
その時でも、すでに旧車です。珍車扱いもされてました。
必然的にレトロ車同士の交流が始まり、いつのまにか……
レディバード関西という集いのメンバーになってました。
もちろん、なが~ンは、若輩者でレディバード関西の下っ端構成員でした。
そのころに、諸先輩からR-2のことでいろいろと教えてもらい、
もうR-2を卒業したから使わないパーツあげるよと、
いろんなものをいただいたものです。
当時でもお宝、今となっては超絶お宝の純正部品とオプション部品をそうやって入手していたのです。
そのレディバード関西のステッカーを貼った車体が、8年前のイベントにいたのです。
懐かしい思い出話が広がったのは言うまでもありません。
というか、お互い人物の記憶は曖昧なのに、お互いの車のことはもの凄く記憶があるのです。
さらに、2024年の自動車イベント「第99回:堺浜ゆるグダ」にて、
別人のレディバード関西の人と出会う。
30年以上、風雨にされされた当時のステッカーが貼られたままの車体。

もちろん当時の車を、大事に乗られている。
そして、現在です。
ネット経由ですが、今も、交流は続いてます。
まだ、レディバード関西の息吹は続いているのです。はずです。
私は、続いていると信じてます。
スバルの部品入手に苦戦
旧車乗りアルアルなのですが……
もちろんメーカーからほとんど部品はでません。
さらに、ディラーからは、「そんな古い車のことで来るな」と断られるのが常なんです。つまり、部品の相談はメーカーとはできないのです。
部品入手できないとなると、
- 蔵から発掘された当時物部品がネットで売りに出てくるのを探す。
- 流用部品を探す。
- 錆クズを再生する。
- 部品を自作する。
という選択肢になります。
なが~ンの場合は、概ね
・錆クズを再生する。
・部品を自作する
になるのです。
すると修理期間が長くなる。
いや、修理行程がエンドレス。
終わりの見えない、修理沼にどっぷりはまっているんです。
部品が無いという地獄は、全ての時間を止める。
いや、部品再生製作をするのだから止まっていない。
全ての時間が溶けてなくなっていくのです。
時間がいくらあっても足らない地獄に堕ちるのです。
闇落ちの始まり
何故に、そんなことになっているのか……
それに気づいたら……
なが~ンの心の闇が色濃くなり
理性を虚無の底へ陥れるのです。
本日はその気分で吐き気がするのです。
精神に由来する吐き気は、愚痴で毒吐きするのが一番。
でも、話す相手がいないので、ブログに毒を吐くのです。
はい、ここまで読んだ貴方。
私の毒気に染まっていってください。
そして、なんだ、その程度の毒気なんてしれているじゃないか。
と、最後に笑って立ち去ってください。
スバルの黒歴史
はっきり正直に言います。
阪神大震災を迎えるまでは、スバル R-2 の部品を潤沢に所有してました。
って、阪神大震災ってだけで何年前の話だよ。
だって、本当にレディバード関西の、ダンディーなおじさまから沢山の部品をもらったのです。
バブル期に趣味で車弄りしていた40代50代のおじさまがどれだけのものを持っていたか想像してください。
そういった方が、人生最後に別の車へ乗り換えたときに、手放したのがとっても大事にしていたR-2だったりするんです。
綺麗な車体は当時でもクラッシックカー価値が高いので下取りに出ていきます。
でも、保守部品は行先が無く、クラブ内で同様車種を持っている者のところへ集まるのです。
そして、スバルR-2乗りの最後の一人となった私のところは……
という塩梅だったのです。
まず、第1の不幸は、阪神大震災です。
被災地に住んでいたのです。実質、阪神大震災をきっかけでスバルR-2を乗らなくなりました。
被災した車をどうこうしている心のゆとりなんてありませんよ。
そのまま青空駐車場に被災した車が置かれている。
全塗装をしていたスバル R-2。
当時に潤沢に部品を所有していたのでメッキパーツも綺麗なのを取り付けていました。
それを、心の無い火事場泥棒。いや、震災泥棒のターゲットにされて……
むしり取られて行きました。
被災者は生活再建で寝る時間も無いさなか。
罹災証明をかかえ、いろんなところへ出向く日常。
そんな被災者を震災泥棒は狙うのです。
スバルR-2は荒れ果てました。
シートまで無くなってしまった車体。
ここが、不幸の始まりでした。
生活再建のために、なが~ンは震災被災地からの脱出をしました。
結婚して新天地で新たな生活基盤を作る行動に出たのです。
新婚で金が無し。少ないサラリーは当時の実家再建(被災復旧)のために使いました。
つまり、激貧夫婦が新天地で小さい住処を作ったのです。
その住処が泉佐野市でした。
そんな激貧若輩夫婦が、部品を心無いものに剥ぎ取られた車体を保有する財力はありません。保管場所の費用は出せません。
つまり、実家に放置することになります。
スバルを廃車にするつもりはないのです。
だって、復活するために必要な部品はあるんです。
新婚生活で住んだ安家賃住まいは2年で出る計画を立てていました。
次に、引っ越すタイミングでスバルを持ち帰って再生する計画です。
つまり、新婚夫婦は共働きでがむしゃらに稼ぐことに集中しました。
そんな裏で両親が子供たちの財産を食いつぶす行いをしていたことを知らずに……。
私が新天地へ行き、実家では実質スバルを管理するのが居なくなったのです。
すると目を付けたのは親父でした。
自分の博打へ行く足として車が欲しい。
このボロボロになた子供の車を使ってやれ。
幸いにも、修理するのに必要な部品はある。
さらに部品取り車が1台ある。
これは修理したらいいだろう。
そこで、なが~ンの知らない間に、自動車整備士(父親)が手抜きな復活作業を始めたのです。
この復活作業が2番目の不幸でした。
震災キズを負っている車体です。
多数のへこみがあります。
震災泥棒も丁寧に部品を剥ぎ取っていません。
灯火類は取り外しても、ケーブルは切られて持ち去られているのです。
つまり、配線といったものも丁寧に修理しなければなりません。
それを、金をかけずに動いたらいいという思想だけで怪しい加工修理がされます。
私がそれに気づいたときは、すでに親父の玩具になっていたスバル。
車検を通過していたが、遠方で止まる故障車としてぞんざいになっていたのかと思っていたら……
なんと現金化すべく、同業者へ売りに行っていたことまで発覚。
売りに持ち込まれたところは、なが~ンが乗っていた車だったことを知っていて、なんで子供の車を売りに出すの。という形で事前に止まっていた。他の業者から私に連絡が入り、「子供はそんな話を知らん」ということが車屋で広まってどこも買い取らなかった。
そんな不運な数年を過ごします。
誰も買い取らない。いい加減な修理をしたことでトラブルが多い車。
それを理由に、いい加減な修理をして乗り回していた父親は、スバルを乗らなくなり車検が切れた。
スバルにしばらくの安眠の時間が訪れました。
なが~ンはちゃくちゃくと計画どおりに生活基盤を作り、スバルを向かい入れてもいい状況になりました。
そのタイミングで、両親が大変なことをしていることが発覚。
子供の財産を狙っていろいとやらかしているんです。
突然発覚したこの事案は、全ての信用調査をダメにしてくれました。
法人での起業を考えて、数社と取引していたのが、泡のように消えました。そのぐらい酷い仕打ちです。両親は世の中のことをわかっていない。
どうして、両親は子供の名義で勝手にいろんなことができるのでしょう。
それを子供が学生のころから仕込んでいた。最低な……。
おっと、闇深くなりましたね。
ここはスバルに関する話だ。脱線から戻りましょう。
しばらくして、当時にクラウンワゴンの主治医として通っていた整備工場から教えられます。
「あんたのお父さんが、あのスバルを弄ってるで」
ここから、次の不幸が始まるのです。
ちょっと痴呆が始まり暴力男と化した父親が、自分の車が欲しいと、またスバルに目を付けたのです。
痴呆は怖いです。いろいろと常識が欠落していきます。
そもそもの常識がすでにズレていたのに、さらに欲望だけが色濃く乗っかり常識が沈んでいく痴呆親父。
はっきりいいます。ここで、私はスバルを諦めました。
溶接機が室内に入りビシバシとなにかやられてボロボロになっているスバルを見たときに、
「すまん。お前の最後まで付き合ってられなかった。」
とマジでスバルに思いました。
しかし、鬼嫁は諦めていなかった。
二人の恋人時代の思い出を沢山作ってくれたスバルは、嫁にとってはとっても大事な車だった。
「お父さんに壊される。早く連れて帰ろう。」
嫁の一言が、スバルを持ち帰る決心に至ります。
その時は、まだ部品取りのもう一台のスバルはありました。
部品取り車の中に、沢山の未使用部品もありました。
まだ、修理可能と判断。これなら再生できるかとなったのです。
急遽ガレージの手配をしました。
改造親父は意地になって手放してくれません。
車のいないシャッターガレージが何か月も続きます。
激貧家庭に無駄にガレージ代がのしかかります。
では、車検だけさっさと通せ。そんなところは弄らんでいい。
私もしばらく実家へ通い手伝って車検が通る状態になりました。
痴呆親父は、やっと自分が乗り回せる車が出来たとなりました。
数日後です。嫁と実家の母親での密談が成立。
“早くスバルに乗って帰れ”
深夜に私がスバルに乗って泉佐野へ向かいます。
道中はいろいろとあり、JAFにレッカーされて何時間もかかって到着というオチまで作ってくれました。
そうやって、激貧夫婦の手元へ戻ってきたスバル。
痴呆親父に弄られて壊されてます。
それを復元する毎日で、私の身体が壊れました。
現在は、私の身体の修理中です。
しかし、私の身体は治らないと言われ、いつまで持つかも未知数と医者に言われる。
さあー、どうやってスバルの路上復帰をするか?
そういう状態で、スバルは今も計画頓挫で淀んでいるのです。
なが~ンは修理する気に満ちています。
でも体調は別問題です。くそっ、このバカな身体め。
部品が無い地獄
最悪の不幸。いや、もの凄い闇を書きます。
痴呆は本当に恐ろしい。
痴呆は欲望のためには全力疾走するらしいです。
痴呆親父は博打に全力疾走しました。なんてこったい。
博打で勝つのならいいのですが、痴呆が勝てるわけない。
痴呆に付き論理立てもできない、計画も立てれない。
博打で勝つことだけが正義になるみたいです。
正義を達成するためにはお金が必要。
お金を工面するために、あやしい情報を得るらしい。
もちろん博打場で儲け話として聞きかじるらしい。
アレが売れる。どこで何が取れる。こんな日銭稼ぎがある。
どこどこのパチンコは玉が出る。あの自動販売機では小銭が手に入る。
等々。そんな話を自慢げに痴呆親父から聞かされた、なが~ンの心の淀みを想像してください。
母親には話していないのよね。弟にも話さない。
たまに帰省する息子を博打仲間と認識してそんな話をする始末。
その会話で、鉄くずが売れる話が出てくるのです。
アルミは高く売れる。鉄は安い。
今日はこんなのを打った。いくらで売れたから競艇へ行った。
競艇で勝ったのに窓口で騙されてお金を取られた。
まあー、そんな話です。
母親に確認すると、博打場へは本当に行っているらしい。
お金はどこかで工面しているのか知らんという。
つまりなにかを売って小銭を得ているのは確実。
そもそも、私が小学生のときに、教科書や文具が売り飛ばされたのは事実。競艇場横の闇市で、なが~ンの名前が記された教科書が売られていて、それを同じクラスの父親が買って、なが~ンの手元へ戻ってくる。
こんなのが日常だった。そんな学校環境で、なが~ンがどのような生活していたかわかるよね。地元の学生生活は黒歴史しかない。もちろん虐めや差別の対象さ。
他所の地区へ遊びに行くようになってからが私の学生生活が始まったんだ。
おっと、また黒歴史を脱線した。元に戻ろう。
そんな痴呆親父の小銭稼ぎがなんだったのかが発覚したのは、ヤフオクだった。
なんと、私の見覚えのある部品がヤフオクに流れている。
だって間違いがない。なが~ンの名前が外箱に書きこまれている。
レディバードの先輩からもらった大切な部品。
なが~ンに絶対に渡すからと、名前が書きこまれて数人の手を経由して手元に届いた貴重な部品。
それがヤフオクで流れているんだ。
同じ出品者の品物を見ると、見覚えのある貴重な部品が多数ある。
それも、どんどん値段が上がっていく。
はい。痴呆親父は、私が大事にしていた部品を鉄くずとして売っていたってことです。
これは、スバルを乗って帰るまでずーっと続きました。
どうやって痴呆親父が持ち出す前に持って帰るかの戦いでした。
そして、未使用品のブレーキシリンダー、未使用品のキャブレータ。
そういった綺麗でアルミ色の部品を痴呆親父は持ち出すのです。
もちろんメッキで綺麗な部品も持ち出されます。
錆びている部品は置いていくみたいです。
ステッカーの類も丁寧に剥がされて売られたみたいです。
ラジオ関連のイベントにも、けっこう参加していたので、
当時のタレントからのサイン入りステッカーが、スバルの室内に貼っていたんです。もちろん「なが~ンさんへ」といったコメント入り。
そのステッカーが、古書街で売られていたのを見たときの、”なが~ン”の心が地下404回へ堕ちて消えて行ったのわ想像してください。
そんな、最低な数か月がありました。
そうやって、レディバード関西時代に引き継いだ部品は、
なが~ンの車体のためではなく、世のどこかへ消えて行ったです。
せめて、他所のR-2で使われていたら心の救いになります。
ステッカーなんて、ヲタク蔵書になっているのだろうか?
そんな経緯で今は部品がありません。いちいち自作している状況です。
つまり、スバルを維持するにあたり、一番の天敵は父親だったってことです。
尚、余計な一言を書くとすれば……
現在の”なが~ン激貧家庭”の天敵は、母親が過去にいろいろとしでかしている仕打ちということになります。
ここからどんどん、母親の闇を色濃くいくらでも語れるのですが……
ここまでにしましょう。
宣言
本当にさっさと路上復帰しないと、免許返納で乗れなくなるかもしれません。
あっ、こんな闇落ちで愚痴を書いて、ここを黒く染めたところでなんのメリットもありませんね。
最後は気持ちよく締めくくろう。
なが~ン、鬼嫁。
つまり、なが~ンバカ夫婦は、
スバルの路上復帰を諦めていません。
嫁の下駄車としての、復活を目指しています。
今は、なが~ンの”類乾癬”がどうにか静まってくれること。
そして、”類乾癬”の治療薬が開発されることを祈願です。
体調さえ、復活すれば、錆クズとの戦いが復活して
必ずスバルを復活させます。
“第21回スバル360フェスティバル”は
第0話(予告編)〜第12話(最終回)+番外編(黒歴史)の全14話構成です。
第0話
第1話
第2話
第3話
第4話
第5話
第6話
第7話
第8話
第9話
第10話
第11話
第12話
***** 2026年10月17日追記 *****
スバルフェス記事をきっかけに黒歴史暴露編





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