1月15日に、しめ飾りを外した

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引越先の当ブログですが.... 引越自体は終えてます。(2025年10月08日00:45現在)
でもね、デコレーションがまだまだでしょ。飾りつけといったことはポチポチとしていきます。
そうそう。gooブログからの引越データとしては、記事数2756件、画像20833枚でした。
***** 以降に記事本文が続きます。読んでね!! *****


最近はブログネタにするものが無いので、「しめ飾りを外した」ことを無理やりにネタにする。

最初につまらないお断り。

わざわざブログタイトルに1月15日と書いたのは、2つの理由があります。

  1. このブログを書くのが1月16日です。16日にしめ飾り外したのではないのよ。という意思表示。
  2. 世間的には1月7日に外すのよね。でも関西圏の我家は1月15日の風習なんです。

そして、次のお断り。

しめ飾りに関しては宗教事になるのかな、神事なのは間違いない。

宗教は「信じるものは救われる」とよく言ったもので、根拠の無いことなのは重々理解しております。

しかしながら、昔からの言い伝えにもとづくもので、いろいろと屁理屈があるものです。

その屁理屈をどう考えるかであって、それを無理強いするものでもなく、それを批判するものではありません。

私の考えや行動をブログに書きますが、「こんな考えの人もいるのね」程度に軽く読み捨ててくださいませ。

何故に、こんなお断りを書くのかというと…

宗教事になると、いろいろと無理強い意見を押し付ける方が現れるのです。各人の見解はそれはそれでいいのですが、それを他人様に無理強いしないよう。逆に無理強いしてくるんじゃない。という意思表示でもあります。ここまでグタグタと断り書きするのも実際どうかと思うのですが、書いとかないとややこしい連絡があったりする世知辛い世の中なのです。

ではでは、本題に入ります。

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昨日のことになります。

病気や怪我をせずに無事に正月を乗り切った我家です。

今年は、正月期間中でもスーパーの半額特売商品を計画通りにゲットでき、3食の食事を摂取しつづけて過ごせました。いろんな意味でカレンダーの日取りに感謝です。

だって、下手するとスーパーが日配食品の在庫調整で店頭陳列品を減らしたら、夕方半額食品がなくなりますからね。これだけが正月に我家の大きい心配事だったのです。

まぁー、正月の不幸なことといえば、実家に帰省して親から金をたかられる。それを断ると罵声をあびせられる。等など、実家に帰省した嫌な時間を夫婦して耐えただけです。

健康に無事に正月を乗り切れたので、ご機嫌さんでしめ飾りを外しました。

自宅玄関はもちろん、事務所玄関も外します。(自宅や事務所の写真は無しね)

仕事で重要な機動力のクラウンワゴン君からも外します。

しめ飾りは神様が云々かんぬんと、いろいろと理由があります。

それを信じる信じないは各人の勝手なのでそこはどうこうといいません。

私の中で一番重要なのは、大事なものに正月の飾りごとをすることによって、「気をひきしめて一年を過ごすという決意をする」ことだと思ってます。

そのための区切り的な行動の意味合いが多くあります。なので、「激貧がしめ飾りなんてするんじゃねー」って突っ込まないでくださいね。私の中では3度の飯より、「しめ飾り」と「初詣」と「えべっさん」は、ずっと重要にしていますので(笑)。

さて、こんなグタグタと書くのは何故かというと、正月帰省で実家でのことです。

痴呆の父親からでた言葉です。

「車にミカンつけるぐらいなら、その飾り代を俺によこせ。」と言い放ったのです。

これには正直カチンときました。しめ飾りをバカにしたことではありません。金をたかることでもありません。(まぁー、節約の努力を一切しないで顔を見れば金くれという両親に不満一杯なのも事実ですが)

私の中の問題点は、痴呆脳みそが3段論法を瞬間に閃いて悠長な言葉で即答できるか?なんです。

ようするに、パッと見たことを「xxがxxでxxだ」と即答したのです。

金のこと、食い物のこと、といった自分のことになると、3段論法を即答する痴呆親父にウスウス勘付いてました。それが、私の車を見て最初の一言がそれだったのです。

相手のことを何も考えずに思ったことを口にするのはボケかも知れません。しかし、3段論法を即座に展開できるのはボケなのか?

その言葉に、「今、なんて言うた?」と、三角の目でつめよる私に、痴呆親父は「なんか言ったっけ?」という返答。トンチンカンな返答があるでもなく、つまり、言った言わないの判断はできているみたいかな。

その後も、なにかあるたびに、「xxならxxで金をくれ」です。両親はスーパーで正月料理を買って食べられる身分、私から見たら我家よりずっと贅沢な生活なのに、痴呆親父はそれをいう。

それに聞き返す私の文言に、「そんなこと言ったっけ?」の返答がくる。

これは確信犯だなー。子供状態だな。子供はずるいからなー。と勘ぐる私です。

母親の話では、父親は自分が痴呆と診断されているのは理解しているとのこと。そして最近行動が変わったとのこと。

で、私の考えは、「痴呆の振りして世の中を立ち回ること」をどこかで習得してきたのではないか?

母親がいうには、父親は競艇に行くらしい。(どこに競艇で遊ぶ金があるんや。と憤る私はおいといてください)

その競艇で、くだらんオッサン競艇仲間に、こういうたら家族がこうしてくれる。みたいな都合のよいことだけ学習してきているのでは?と、私のクソ根性は勘ぐるのです。

そう、子供が自分の都合の良いことだけすぐに覚えて、都合の悪いことはわからん。というアレモードではないのかと。

さらに母親がいうには、すぐに封筒を開けて中身を破る行動が出たという。

私が「それはずっと前からか?」と聞いたら、なんか突然始まったのでボケが一挙に進んだのではないか心配という。

「いやいや、それは金を狙っているのでは。」と、本音をすぐにいう私。

どこかで封筒の中にはお金が入っていると教えてもらったのとちゃう?。

そして、金がなかったらボケた振りして破ってしまえとか、そこまで入れ知恵されてないか?

痴呆親父は居心地の良いところ探すだろうから、それが、いかがわしい競艇仲間だったりしないか?

というのを母親へ説明する。まぁー、これを説明したところで母親が競艇に付いて行くわけではないのでどうにもならないのだが、父親の不審な行動に必ずなにか意味があるはずだから、良く考えて防御策を裏の裏まで考えろと指示するだけの私です。

本当は、親父を監視して、新入社員を教育するように、いや、犬のしつけをするように、私が親父の相手をしてあげれば、きっと、根性まがったクソジジーではなく、かわいらしいボケ爺さんになれるはずなんだけど。

そういうことは現実にできない。我家も家庭と生活がある。実家へ帰省する金が湯水のごとくあるわけがない。

なので、母親には、早く市役所へ行っていろいろと相談しろというのだが….

そうそう、私が遠隔地なりに努力したんですよ。

具体的には、実家所在地の市役所に電話で確認しました。

コレコレで、こうで、こうなって、こうなので、福祉でどういうのがあって、それにどうして申し込んだらいいのか教えて欲しい。と….

それに対して市役所からの返答は、「失礼ですが家族の方ですか?要件を伺うに別世帯の方に思えますが」と….

これで、ハッと脳裏をよぎります。この展開は個人情報が云々のパターンだな。

「両親の話で、私は独立して嫁さんも持って別世帯です。」と返答。

すると、「XX市に住民票をおもちですか?」ときた。

「両親はxx市在住です。」というと、「それでは電話をかけられているあなたは?」とのこと。

「大阪府の別の市ですが」と返答したら

「失礼ですが、弁護士資格、行政書士といった、役所へ手続きできる資格をお持ちですか?」との確認です。

「そういうのはありませんが、両親のことなので、両親所在の役所に電話確認しております。」

すると、「市役所のサービスは、市民に対して提供するもので、他市の方へ情報提供できません。市民の方が市役所に出向いて相談してもらうか、法的資格をお持ちの方が代理で問い合わせてください。役所仕事と思われるでしょうが、市民税で仕事していますのでご理解のうえで、両親に市役所へ出向くようにしてください」という返答でがっくりです。

さらに、「外部の街にお住まいの方は、市役所ホームページをご覧になって、そこに記されている役所のサービス内容を確認することしかできません。」とのつめたい返答でした。

まぁー、市役所の方がいうのももっともなので、これ以上は無理強いになるのでどうしようもなく….

あとは、両親にそのことをいっただけです。って、これは去年の盆帰省で説明してます。

それで役所へ出向いたか?と確認したのですが…..

おおっと、ブログを書いていたら、話が脱線しましたね。

こういうネタは、いくらでもかけるのですが、まぁー主題と異なるのでここまで….

余計なこと書いたかなーと消してもいいのですが、まあー、ここまで書いちゃったのでそのままにしておきます。

えーと、なんでしたっけ?

と、タイトルを見て、そうそう、しめ飾りネタ。

 

外したしめ飾りをどうするか?です。

本筋は「どんど焼き」に持ち込んで、お焚き上げするべきです。

私は現在住んでいる地域で育ったわけではない。つまりよそ者なので、この地域のどこで「どんど焼き」があるのか存知ません。

で、こういう神事は神主さんに聞くのが一番と、昔にどこかの神社で質問したことがあるんです?

私がひいきにしている神社は、「西宮神社」と尼崎市の「熊野神社」ぐらいです。

おそらく結婚式のときに西宮神社で聞いているのではないかと思います。(違うかもしれません。どこの神主に聞いたか忘れてます)

神主さんは、基本は気分の持ち方次第なので、と、現実的な断りを最初にしたのを覚えてます。

本筋は、焚いて、精神を昇華させ、灰を土に返ってもらう、ということをすべきとのこと。それが地域で行う「どんど焼き」とのこと。

ちなみに、なぜ地域単位でどんどをするのかといったことも教えてもらってます。

自分でするのであれば、その地区の「土の上で燃やしてください。」とのこと。

燃やすことができないのであれば、「土に返してください。具体的には自分に関連のある土地に埋めてください」とのこと。

しかし、どうしようもないときは、

綺麗な白い紙に包んで他人様の目に触れないようにして可燃ごみに出す。

というものでした。

神主さんのポイントは、焚くことではなく、土に返すことが重要とのことでした。

精神論に関しては、関与した方の心持次第なので手をたたいて、いろいろと思いながら注連飾りを外したらそれでいい。

しかし物理的な処分では、取り外した飾りは、神様が触ったものなので、飾りの状態で人の目にふれないように、残ったものは自然に帰るように勤めをしてほしい。なにやら自然の摂理の一部でどうこうという神様理論を説明していたたいたのです。

簡単に人の目に触れないようにするのが「焚く」ということらしいです。

焚くことができないのなら、自分の手で飾りを崩しなさい。とのことです。

そこで、その場で私が神主に提案したこと….

  1. しめ飾りを崩す(人の目に触れないようにする)
  2. わらを家庭菜園の鉢に敷き詰める(関連する土地はないので自宅に鉢の土に被せる)
  3. みかんは風呂に入れて活用したあとに家庭菜園の鉢に埋める
  4. 家庭菜園で取れた野菜を食べる

こんな内容です。

これに神主はすごく関心してくれまして、(みかんを風呂に入れるには笑われましたが….)

家庭菜園の野菜を食べるのは、最終的に自分の体内に取り込むことになり、神様の自然の摂理につながるとても良いことと解釈します。そのような発想をすぐにできることが重要で臨機応変な対応に、しめかざりで呼び込んだ年神様、そして土地神様も大変よろこばれるでしょう。とのことです。

そのように教えてもらった。まあー、迷信ことで根拠のないことなんだけど、悪いことはないはずなので、それを毎年勤めている我家です。

これが、我家の「しめ飾り」です。

 

そういえば、今年も自動車にしめ飾りをしている方は激少状態ですね。

今年に我家の車以外で見たのは2台でした。

1台は、家族で乗られていたプリウス。

もう1台は、綺麗な赤色のワーゲンゴルフ。

フロントにしめ飾りではないですが、高速のパーキングにて、注連縄(長い縄だけです)をダッシュの上に飾っていた、かなりぼろっちいハイエース。

正直ボロボロに錆びていたハイエースですが、そこから楽しそうな家族が出てきて大騒ぎでトイレに向かっていかれました。中の良さそうな家族だったのはいうまでもありません。

これは勝手な意見ですが、しめ飾りをしている家庭ってなんとなく心にゆとりがあるような気がします。

尚、我家は心のゆとりはもっているつもりですが、間違いなく現金は寂しい負の連鎖になっております。

さてさて、正月飾りをされている自動車は、絶滅危惧種みたいになりつつありますが、気を引き締める意味でも、こういう風習は残っていったらいいなーと思います。

 

と、こういうことを考えるようになった時点で、私はロートルに確実に近づいている証拠なんでしょうねー。

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